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京都を拠点に活動する、大所帯のダンス・コミュニティ。
ブラス楽器を奏でながら、ダンスな旅をしたりします。
Profile
e-danceとは?

いいダンスをしてお互い元気に活かしあうコミュニティ。
踊ればいい、踊りさえすればいい、というのが基本です。
そこからもっといいダンスに向かって、脱皮成長できるよう、
集まって技術を試しているうちにアート・コミュニティが生まれました。
創立メンバーのほとんどは「飯田茂実ダンス・ワークショップ (2007)」の出身者。

舞台公演と〈わくわくショップ〉の活動の軸に、
周りの社会へ少しずつ、いいダンスを波及させていきます。
一人ひとりの心身環境を、より元気に魅力的にするところから始めて、
いろんなコトを、身近なところから、より良く末広がりにしていきます。
お互いに持味のちがう者同士、未知の可能性を呼び覚ましあって進化します。

2008年9月・10月の第1回出発公演では、
5カ国のダンサーによる国際共同創作をおこない、
男性ダンサー7人+ゲストによる『元気の本』(約85分)と
女性ダンサー9人+ゲストによる『狩プソ☆スピ歌』(約75分)と、
2つの大作を初演して、多くの方々からMaxの共感と支持を頂きました。

自由で充実しているダンス。世のなかを少しでも天へ近づけていくダンス。
お互いに応援しあって、いきいきしみじみ、日々の生活を喜ばしくしていくダンス。
音楽(うた)、療術(活元ダンス・愉気)、詩(おまじない)、ものがたりなど、
いろんな総合人間術が結びついたShamanartを、ダンスの現場で育てあっていく。
目指すところはシンプルです。お互い素直に人間らしく、すくすく成長を続けたい。

コミュニティの拠点は京都。
今後も、メンバーひとりひとりの持味を活かし、
ストレート&マジカルな、新式のダンス作品を発表していきます。



e-dance コミュニティーメンバー
 
飯田茂実
竹本泰広
QUICK(一撃・MuDA)
内田和成
秋山はるか
カネヤケる子
岩澤侑生子
黒木夏海
苧環凉
吉澤拓馬
朝平陽子
笹原和哉
秋元一平
吉田一明
平木誉大

坂本美夕
伊藤サキ
田中百恵

中野文恵
渡邉直美
坂田雄亮
Nadav Malamud(Israel)
Jose Sousa Botelho(from Portugal)
後山阿南(France) 
Ainoha Pareja (Spain)
金谷麻美
西山真来
梶蔦美波
塩谷はづき
坂東恭子 
片岡結衣
今村達紀


e-dance
拠点=京都
コミュニティ誕生=2007年秋
プロダクション創設=2008年春
姉妹コミュニティ=e-dance Khenifra(Morocco)



【以下それぞれのプロフィール】



iida_shigemi
飯田茂実(Iida Shigemi)

ダンサー・振付家・演出家/e-dance芸術監督

1967年 長野県 諏訪生れ。
民話の語り部だった祖母に育てられ各種療術の手ほどきを受ける。
16歳のとき高校を休学してパフォーマンス活動を開始。
オブジェの製作、音響パフォーマンス、朗読演説などを行い、
パンク・ベーシスト、前衛詩人としてライブハウスで活動を展開。
ライブハウスに寝泊まりし、友人たちの住まいを転々とする。

京都大学文学部を経て、南禅寺の佐々木玄龍師に学んだ後、
横浜へ移住して、大野一雄・大野慶人のアシスタントを務める。
ロックバンドのフロント・ダンサー、ストリート・ダンサー、
様々なバンドでのミュージシャン活動と平行して、
『一行物語集 世界は蜜でみたされる(1992)』等の文学作品を発表。

1998年より、マルチ・アーティストとして世界各地で活躍。
アート・フェスティヴァル、ビエンナーレからの招待が続き、
「人間アートセンター」と称されるようになる。
2003年、韓国の〈ノットル〉に招かれ、主演俳優・作曲家を兼任。
韓国ではパク・キーヒョン監督により、主演映画も創られた。

2005年よりダンス作品の構想・振付・演出を活動の軸とし、
『野バナシ』『で・ら・シ・ネ』『飯田茂実の世界』
『ドゥリ談☆ディス誕』『現動力』などの大作を次々と発表、
超独自なその作風は「破格」「神業」「衝撃的」などと評される。
2007年にはモロッコ・スペインで現地のダンサー総勢50人余を
振付・演出した舞台が、いずれも熱狂的な成功をおさめた。

2008年春、17人の旗揚げメンバーと京都にてe-danceの活動を開始。
秋の出発公演後、中古のブラス楽器を内外各地から集めて、
e-danceメンバーによるブラス・バンド〈BraDanオーケストラ〉を結成。

現在、参加者が短期間で次々とヴァージョン・アップしていく
マジカルな総合ダンス・ワークショップを世界各地で展開中。
経験豊富な「ワークショップ・マスター」としても知られている。

ダンス、音楽、美術、シアター、文学など、様々なジャンルを
身をもって体現しながら統合していくハイ・ボルテージな活動は、
学術的な研究対象ともなり、国際的に高く評価されている。

2009年よりe-dance代表。

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竹本泰広(Takemoto Yasu-HERO)

マルチ・パフォーマー/e-dance合宿会長

1978年大阪生。楽天かつナイーブなA型乙女座男子。
モデル、ダンサー、俳優、ミュージシャン、ピエロなど
マルチ・パフォーマーとして、関西を拠点に活動中。
同時に、プロデューサー、劇場マネージャー、映像監督、
カフェのマスター、演出家、アート・アドバイザー、
舞台監督、照明家など様々な顔を持っている。

2005年夏、飯田茂実ワークショップにて飯田茂実と出会い
「人間そのものがアート現象」という、枠を超えた見方に共感。
10ヵ月の猛稽古を経て、飯田茂実の演出作品『現動力』に出演。
さらにMAXまでポテンシャルを引き出される。

現在、国内外のアーティストたちと親交を深めつつ、
あらゆるジャンルの人種と関わりを持つ「人間」として活動を展開。
もっともっと「人間」になるためにイキイキ生きながら
「今このタイミング」でしかできないパフォーマンスを進行中。

得意の関西弁の他、英語、スペイン語なども
まるでスラスラ話せるかのようにニコニコ話す。
e-danceでは演出家の人間相談係も務める。
〈BraDanオーケストラ〉ではいちばん鳴りのいいトランペットを所有している。

   毎日元気!
   感謝感激!
   意気投合!


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QUICK(福井貴彦/Fukui Tkahiko)

ダンサー・振付家/e-dance振付チーフ

1982年 京都府生まれ。
1997年 ブレイクダンスをベースに踊り始める。
1998年 ブレイクダンスグループ「一撃」 結成。
    主な活動時期 2005年までに、国内外数々の大会で受賞、入賞を飾る。
    同時に、国内外各地でゲストダンサーとしても活躍。
2007年 ダンスコミュニティー「e-dance」旗揚げメンバーとなる。
    以後全ての作品に振付、出演で携わる。
2008年 合田有紀 (Monochrome Circus) とダンスグループ「奥田軍団」結成。
    京都、松山にて若手アーティストを中心としたオムニバス公演を展開。
2010年「奥田軍団」に映像、音楽、美術など、多岐にわたる分野のアーティストをメンバーとして迎え、
    総合パフォオーマンスグループ「MuDA」として再始動。「MuDA」代表。    


<主な経歴>

「一撃」
2002年
・FREE STYLE SESSION 7(アメリカ) BEST 4 
・BATTLE OF THE YEAR JAPAN 2002(東京) 優勝
・FREE STYLE SESSION JAPAN 2002(東京) BEST 4
2003年
・Honor of dance(韓国) ゲストダンサー
・BATTLE OF THE YEAR JAPAN 2003(東京) 準優勝  
2004年
・OSAKA DANCE DELIGHT VOL.19(大阪) 3位
・「一撃」DVDリリース。大好評のなか、短期間で完売。
2005年
・BATTLE OF THE YEAR JAPAN 2005(東京) 優勝
・BATTLE OF THE YEAR FINAL 2005(ドイツ) 準優勝・BEST SHOW 受賞
・HIPHOP WORLD CHALLENGE(ドイツ) 日本代表選出
2006年
・BATTLE IN KOREA(韓国) ゲストダンサー
2008年
・全米・世界約10カ国公開ドキュメンタリー映画
   『PLANET B-BOY (監督:ベンソン・リー)』出演  
・Floor wars 2008(デンマーク) ゲストダンサー
・デンマーク日本大使館「一撃」ダンスワークショップ開催 (デンマーク)

「MuDA」
2008年
・『scarab』(京都/初音館スタジオ) 振付・演出・出演
2010年
・−Ogyaaaa!!− 『十界』(松山/DANCE LABO.) 振付・演出・出演
・『HIGH SPEED (松浦筦二との共同制作映像作品)』
   EIZO FES PART 13 入選 (神戸/KAVC)

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内田和成(Uchida Kazusige)

ダンサー・演出家・俳優/e-dance演出助手

1980年香川県に生まれる。
運動オンチと人見知りを克服すべく、
10歳からサッカーを始め、リフティング大会で優勝。

中学のとき、担任に影響を受け、中学校の教師を目指す。
ガッツがあって、楽しくて、泣ける先生になりたかった。
中学時代はサッカーに明け暮れ、最後にはキャプテンになった。
高校時代もサッカーに明け暮れ、最後にはキャプテンになった。

大学時代、創造的な授業をできる教師になるべく、
演劇部に入り、ほとんどの時間、演劇に熱中して過ごす。
様々な演劇作品に出演し、演劇作品を演出する。
ただ、ダンスはなんとなくつまらなくてケギライしていた。

その後、何もできない最低の時期を経て、
すごいタイミングで飯田茂実さんと出会い、
ダンスの本当の面白さ、身体の不思議を教えてもらう。
飯田ワークショップに参加し、飯田ワークショップを企画し、
出演者+演出助手としてe-danceの旗揚げメンバーとなり、
「5年後にはこの活動だけでやっていけるぞ」と確信。

現在の仕事は、新聞配達+中央市場勤務という、極端な朝型。
「自分にしかないダンス」を求めて、楽しかったり楽しかったり、
要するに最近楽しいばかりのダンス練習でヴァージョンアップ中。
「頼もしい兄ちゃん」と「気狂い博士」とふたつのキャラが売り。
得意技は特に自覚していないが、体力と視力には自信がある。

〈BraDanオーケストラ〉ではちょっと珍しい楽器テナーホルンを吹き、
中音域を遊び場にしている。

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秋山はるか(Akiyama Haruka)

陶芸作家・ダンサー・俳優/e-dance料理隊長

1986年高知県生まれ。
2008年京都教育大学を卒業し、同年京都市立芸術大学修士課程陶磁器専攻科入学。現在も在学中。
陶芸の技法や素材を使って、カタチの境界や時間と痕跡をテーマに作品を制作。
2008、09年に日本、韓国、中国、台湾の合同企画による展覧会に参加。
また、一方で手のストロークから生まれるカタチの展開というところから、平面での制作にも取り組む。
こうした美術展の他、人・モノ・空間の関係性をダイレクトに感じることの出来る舞台に興味を持ち、
2006年から舞台活動を開始。e-danceには旗揚げ時から参加。


〈主な作品展〉

2008年
・三国演技 日中韓現代陶芸新世代の交流展 (中国)
2009年
・秋山はるかコ展ーこくうのmorph/空気を速記するー(京都)
  ドローイングと音声によるインスタレーションとパフォーマンス 
・アジア現代陶芸 ー新世代の交感展ー (韓国)
・旅の途中 グループ展 (高知/nBox)
2010年
・もうそうのふきだし グループ展 (京都/Gallery Maronie)
・京展 2010 (京都/京都市美術館)

〈主な舞台公演〉

2006年
・トリコ・A プロデュース 「夢魔」「孤児の処置」
  −第6回クラシックルネサンス参加作品- (大阪/大阪芸術創造館)
2007年
・トリコ・A プロデュース 「豊満ブラウン管」
  (東京/「劇」小劇場・愛知/愛知県芸術劇場小ホール)



ケる子( Keruko)


パフォーマー/ウェイトレス




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吉澤拓馬(Yoshizawa Takuma)

鍼灸治療師・ダンサー/e-dance身体調整部長

1980生。社会福祉師を志し、大学で社会学を専攻。
東洋医学への関心を深め、鍼灸専門学校で学ぶ。
鍼灸接骨院で治療助手として3年間勤務した後、
昨年の春から、鍼灸医として活動を開始。

2006年、飯田茂実氏のワークショップに参加、
それまでのダンスのイメージが変わる。
踊ることへ魅かれていく。

人の心身とは何なのか、「元気」とは何なのか、
「自由で充実した状態」とは何なのか、
ダンスを通じて探りたいと願い、
2007年よりe-dance創作ワークショップおよび
〈インスピレーションの会〉に参加。
2008年のe-dance出発公演『元気の本』が人生初の舞台。

〈BraDanオーケストラ〉では普段オーケストラで吹いているクラリネットを
サックスに持ち替えてブロー。またひとつ別の人格が……。

得意になった事:
   手技治療、クラリネット、子育て
夢中になった事:
   テニス、スカッシュ、ビリヤード、
   ボーリング、スノーボード、山登り
   書道、音楽、写真、読書、囲碁などなど。

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ゆっこ
岩澤侑生子(Iwasawa Yukiko)

俳優・ダンサー

1986年京都市生れ。鋳造業を営む家で育つ。
小学生の頃から京都太秦の撮影所に出入りし、
数々の時代劇や二時間ドラマなどに出演する。
中学生の時に、知り合いの俳優さんの一人芝居を観て、
俳優という職業に興味を抱く。

2004年に京都造形芸術大学 映像舞台芸術学科 舞台芸術コースに入学、
川村毅氏、松田正隆氏、高嶺格氏、観世榮夫氏らの授業発表公演に参加。
2008年4月に同大学を卒業し、今に至る。

劇場のロビーで飯田さんから初めて声をかけられた時、
名前を聞き取れず、ただただ飯田さんの佇まいや低音ボイスや
目から発せられる情報の多さにうろたえた。
その後WSに参加し、e-danceの出発公演を観て、
大きな期待を胸に『春ノ祭典』へ参加。
今後しばらく公演メンバーとして活動していくことに。

去年の暮れに中古のトランペットを手に入れて〈BraDanオーケストラ〉に参加。
いつのまにかリード・トランペットを吹くことになっていた。
ヨーロッパ公演のあいだは路上演奏で食費を稼ぐことにする。

中学生の頃、極度の猫背から「アウストラロピテクス」と呼ばれ、
大学生の頃、背中の硬さから「昆虫」と呼ばれた自分の身体を使って、
どれだけ楽しく自由にいきいきと動き回れるか試してみたい。
自分の身体で何を表現できるか、何が伝えられるか探ってみたい。

「人」が「有」って「生」きる「子」なので、
家族、友人、叱咤してくださる方々や、
彼女のことなんか嫌いっ!と思っている人にも、
どんな人にも感謝の気持ちを忘れず、
これからも舞台芸術に携わって生きていきたい。

主な映像出演作品

山田誠二監督『憑きまとい』(主演)
林海象監督『生きがい(仮)』
林海象監督『探偵事 務所5京都編・送り火右左』
御法川修監督『色彩の記憶』

主な舞台出演作品

高嶺格 構成演出『アロマロアエロゲロエ』
地点『桜の園』(三浦基 演出)
烏丸ストロークロック
『漂泊の家?六川の兄妹』(柳沼昭徳 脚本演出)

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kazuyakun
笹原和哉(Sasahara Kazuya)

ダンサー

1981年に福井県福井市で生まれる。
中学生のときに声優及びアニメにはまり、高校で演劇を始る。高校卒業後に役者、声優を目指し、東京の専門学校でモダンバレエを始める。ダンスにはまり、急に進路を方向転換。
専門学校卒業後、膝の靭帯を断裂し約1年のリハビリを経て復帰。しばらく東京で活動する。

2006年にイギリスのKate Simmons Danceへダンス留学。
2009年の夏に帰国し、ネットで見つけた飯田さんのワークショップに直感で参加。

ワークショップで飯田さんとe-danceの皆さんのダンスを見たときに衝撃を受け、これまでのダンス観念を打ち壊される。自分もそういうダンスを踊りたいと思い、即決で京都に移住する。

e-dance☆BraDanオーケストラではバルブトロンボーンという珍しい楽器を担当。チューバとのスイッチヒッターも計画中。

<性格>
典型的O型。
好きなもの、興味のあるものに異常な集中力を発揮する。

<特徴>
基本、よく喋り、よく笑い、よく食べ、よく動く。
リアクションが大きく、笑いの沸点が低い。

<将来の夢>
自分が幸せに踊り、見に来ていただくお客様にも幸せやエネルギーを与えられるダンサーになっていきたいです。

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坂本美夕(Sakamoto Miyuu)

俳優・e-danceダンサー/制作

1980年大阪の北の方で生まれ、10代から関東で育つ。
書道・ピアノなど数々の習い事をするが、野遊びの方が性に合う。
小・中・高を通じて、学生時の部活動は全てなんとなく演劇部。
図書館司書になりたくて短大へ通いつつ、社会人劇団に参加。
社会人になってからは、千葉の劇団に参加。

2004年、引越したくなって京都へ移住。
2007年、個人・集団の創作活動を再開。
オリジナルのポストカードを展示会に出展したり、
モノクロームサーカス『旅の道連れ』など
いくつかのダンスや演劇の公演に出演者として参加する。

2007年、飯田茂実ワークショップになんとなく参加。
自分を変えるため挑戦しようとe-dance出発公演に参加を希望、
秋から冬にかけての、飯田振付の集中特訓を受けて立ち、
心も体もしなやかに丈夫になるべく奮闘。
2008年、ダンサーとして『狩プソ☆スピ歌』に出演。

e-dance3作目の『春ノ祭典』で制作を担当した後、
『ダンマパダ Dhammapada』でふたたび舞台に立つ。

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おだまき
苧環凉(Odamaki Ryo)

e-dance演出助手・出演

大阪府生まれ。
3歳、壁中に絵を描いて過ごす。
   友達にすすめられ、味噌汁に粘土を入れて食べる。
12歳、演劇部にはまる。
   名脇役「みどり」の演技が父兄の好評を得る。
17歳、美術部の合宿。絵の具を蟻に蝕まれつつ、真夏の尾道を描く。
23歳、京都市立芸術大学 彫刻専攻卒業。

大学時代は、美術を学びつつ、京都の劇団に所属、舞台を踏む。
また、身ずから企画した〈Theatre Project〉の活動を開始、
    こちらでは戯曲・演出を手がけ公演を行う。
2008年、飯田茂実にスカウトされ、e-danceの旗揚げに参加。
    演出助手だったはずが、いつしかメイン出演者の1人に。

「フォルムへの勘がよくて、説明も整然とこなす」とのことで、
 稽古場では女子チームの振付アシスタントも務めている。
「壮大緻密な妄想ワールドと、本生直球の現実ワールドと、
両方を同時進行で楽しめる逸材」などと言われるが、
実は何をくわだてているのか、その正体を知る者はまだいない。

〈BraDanオーケストラ〉ではオヴァール型バリトンホルンを担当。
吹いていると脳がジプシー化していくトランス楽器。


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や

Y(y)

e-dance制作・宣伝美術スタッフ

e-danceのファン。
誘われるまま稽古場やイイダ・ハウスへ通っているうちに、
公演づくりのお手伝いをすることに。
〈BraDanオーケストラ〉では可愛い形をしたアルト・ホルンを吹いている。
いろんな人から誰か(何か)に似ていると言われる。

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サキ
伊藤サキ(Itou Saki)

e-dance制作スタッフ

1987年名古屋生れ。デザイン学科を卒業後、1年浪人。
その後「舞台に関わる人」をめざして京都造形大学舞台芸術学科へ。

同大の寺田みさこ・伊藤キム先生の授業で身体の奥深さを感じる。
大駱駝艦やグラインダーマンのワークショップ・公演に参加。
またclubメトロの「diamond are forever」に感銘を受ける。
ダンスとコミュニケーションに興味を持ち、クラブイベントを企画。
ダンス表現とダンスの社会化を学んでいます。

2009年、愛と「ダンス」のいいにおいにつられて
胸ドキで〈わくわくショップ〉に参加、e-danceの在り方に惚れ込む。
飯田ハウスに出入りするうち、いつしか制作を手伝い始めていた。
愛と「ダンス」のチラシと宣伝でビシバシです。
将来は、愛と「ダンス」舞台をカレーぐらい身近にできる人になれたらよいです。

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黒木プロフ
黒木夏海 (Kuroki Natsumi)

パフォーマー・歌い手

1985年夏、岸和田に生まれる。

幼少時は名曲「サッちゃん」の替え歌「なっちゃん」を歌って過ごす。
全国の面白い子たちと出会うため弁論大会に明け暮れた小中学時代、
狂言にはまり学校帰り能楽堂に通いつめた高校時代、
試験勉強以外のこともしたいとマイムのワークショップに参加し
創る事の面白さに気づいた浪人時代を経て、
その間にも人生紆余曲折しつつ、
2009年絶妙のタイミングでe-danceに出会う。

e-danceな方々を初めて見たとき、
ただただ「うつくしい」と思った。
自分もそうありたいと。

いつのまにか鍵をかけて閉じこめていた自分自身。
秘伝のだんぢりスピリットでぶち破る!

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一平
秋元一平 (Akimoto Ippei)

ミュージシャン・e-dance音響スタッフ

生まれてすぐに臀部を傷め、名高い医師に臀部を手術してもらう。
普通に座ると尻が痛いので、赤ちゃんなのに正座をしていた。
保育園では泥んこ遊びに熱中し、地面に水を撒いては、
ほかの園児らとパンツ一丁で這い廻って泥を喰べたりしていた。

10歳で学校へ行かなくなり、いわゆる不登校児童に。
この頃から悩みが深まり思考は開いて行くが、身体は閉じてしまった。

16歳のとき、音楽にのめりこんでサックスを吹き始める。
鴨川の河原で、毎日アルト・サックスの練習をしていた時、
斜め向こう岸でいろんな楽器を吹いていたのが飯田さん。
ある日いきなり声をかけられ、その日からダンスを始めることに。

現在、ダンサーとしての身体づくりに熱中している。
e‐danceの人たちに出会って、身体が開いてきた感じ。
e-danceメンバー・平成生れ第1号。
〈BraDanオーケストラ〉では巨大なバリトン・サックスを担当。


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田中百恵(Tanaka Momoe)

映像作家/e-dance美術映像スタッフ

1987年大阪府八尾市に生まれる。
3歳から6歳まで体を患い、入退院を繰り返す。
一人遊びを好み、もくもくと泥ダンゴを磨き続ける日々。

入院中、憶えているのは、仲良かった看護婦さんのスカートを
うっかり覗いてしまったことくらい。
ストッキングとピンクのパンティが脳裏に焼きつく。

その後、あるときはエッチな絵をかきつつ
  漫画を応募したりする平凡少女、
またあるときは、自分の誕生日会のロウソクの火さえ
  自分で消せない内気な少女として過ごす。

10歳、好きが高じて絵を習い始める。
   その後大学に入るまで絵を描き続ける。
16歳、母の誘いで初めて舞台を観に行く。
   その後もたびたび見に行くようになる。
19歳、映像による空間表現に関心をもち、
   それまでの世界観が大幅に変わる。
20歳、よしっやるぞ!と思って美大受験を決意するも、
   浪人生活は、ほぼ性に開花した1年だった。

美術大学の映像科に入学してからは、
転々と作家さんたちの手伝いをする。
いろんな人の考え、いろんな人の生き様に触れ、
自分がどのように生きていくべきか、ますます問われた。
嘘のない世界に憧れ、ダンスに興味をもちはじめる。

スランパーだった時期、また人生の分岐点のような時、
ケる子さんの周旋で飯田茂実さんと出会う。
飯田さんの声に惹かれるようにして参加。
あの時のケる子さんのほくそえみが何を意味していたのか、
私が知るのはもっと後になってからのことだった。
飯田さんは素敵にヘンテコな方で、たまに踊りながらお話される。
「ここはわたしも、おどっとけ」と私も控え目にダンシン。

現在、抜けきれぬ平凡コンプレックスも抜けつつあり、
脳内のボけボケぐちゃぐちゃなどをデトックス中である。
稽古場では挙動不審者以外の何者でもないが、
全てカメラに任せていればいいように思える今日この頃。
まいぺんらい。シャンティに踊って撮影したい。

幼少期から、お道具箱と筆箱のなかで不可視なサムシングを飼って、
しきりと話しかけては、妄想にふけっていた自分。
飯田さんと出逢って、現実を見るようこころがけるようになった。
最近の趣味は、飯田さんちのご飯を真似してつくること。

   〈ゆくゆくの野望〉
1 e-danceの踊る撮影隊長。
2 インタラクティブな舞台設置によって、
  ダンスと映像が相乗する作品を創ること。

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吉田一明(Yoshida Kazuaki)

 e-dance☆BraDan オーケストラ ドラム

 1987年生まれ。東北生まれ東北育ち。大学から京都に移住、西の言葉を色々覚える。
 心臓の反対側の辺りに響く凄みある芸術が大好物。

 2009年e-danceと河原で出会う。
 なんかよくわからなかったが逆に理解を超えた力の魅力に触発され参加していた。
 人間の可能性を具体的に開いていってしまう切り口に心動かされ、現在も影響を受ている。

 大学では心理学を専攻するも、他の科目も面白く和歌の授業や社会学の授業に通う。
 教育学の思想家矢野智司の理論に触発され、好きが高じて論文まで書いてしまった。
 人間を元気にする生の技法arts of lifeの概念を主軸に、「良いこと」を具体的に数え上げる手法に共感。
 疑いから入ったり禁止から入ったりする議論とは距離を置いて、
 どうすれば自主的な賢さが養われるのかについて、芸術体験を通して学ぶ日々。

 ドラムをはじめたのが17歳。その他の楽器経験は、5歳のころピアノの上でよだれを垂らして寝ていたぐらい。
 なんだか相性が良くて、たまらない日々。原卓也という先達に導かれ、即興演奏の楽しみを追求中。
 同バンドで月1・2回演奏活動を行う→<http://www2.ocn.ne.jp/~g.thtytm/>

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平木誉大(Hiraki Takahiro)

BraDanオーケストラ ジャンベ奏者

1977年生まれ。枚方育ちの神戸在住。
ギターからジェンベに転向。
ダンスに関わる人たちと関わり始めた一年前から、
人生、音楽ともに急展開。

現在、ダンサーの大藪ももと月いちで
『coron dance &music』という企画をしている。
神戸では『音遊びの会』のメンバー。

e-danceには、ダンス・ライブを観にいって
内田和成と知り合ったのがきっかけ。

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Nadav Malamud(ナダフ・マラマッド)

俳優

1977年、テルアビブ(イスラエル)生。
マドリッド国立ドラマ学院(スペイン)卒。
サミュエル・べケット『ゲームの終り』や、
パレスチナ人俳優たちと共同創作した政治劇などで、
俳優としてのキャリアをスタートした後スペインに定住。

2005年よりAlejandro Moreno、
Pablo Alvares、Dnald Petrieなどの映画作品に出演。
5ヵ月のロングランなった『RITMOCUENTOS』の成功を受けて、
2006年から2007年まで、演出家Gillian Apterのグループに所属し、
いくつかの英語劇でツアーをおこなう。
また、Juan Carlos Montana演出『SEXO』で評価を得、
2007年より同監督の演出で『ファウスト』(ゲーテ)の
タイトル・ロールを演じている。

2007年10月、マドリッドで飯田茂実の演出作品
『e-dance/JSB』に出演、演出アシスタントも勤めた。
このときの創作ワークに衝撃を受けて
「新しいスピリチュアルなアート世界を開示され」
e-danceの第1回公演への参加するため来日を決意。

将来、故国イスラエルで、飯田茂実の演出による、
パレスチナ人とイスラエル人との共同舞台作品を
企画/制作する夢をもっている。

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後山阿南(Atoyama Anan)

ダンサー・振付家

福岡にて、バレエを坂本順子に、ファンクを長谷川三枝子に師事。
99年よりNYに移り、モダンダンス、コンテンポラリーダンスを始め、
様々な振付家の作品に出演。
04年、作品をNY、福岡にて発表する。
その後ドイツ、チュニジアで活動を続ける。
07年、ダンス白州“独り踊り”に出演。
ワルザザット(モロッコ)にて飯田茂実の新作に出演+振付アシスタント。
08年、リヨン(仏)にて「AToU」設立。ソロ作品“BlackRain”を発表。
09年にはカンパニー作品、ソロ作品を公演予定(リヨン)。
積極的に他の振付家の作品に参加や作品の提供も行っている 。

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Ainoha Pareja(アイノハ・パレーハ)

俳優/フラメンコ・ダンサー

1982年マドリッド生。
1995年より13年間にわたり多数の舞台作品に出演してきた。
代表的な出演作品『Todo ira Bien』は
スペインの舞台芸術界で高く評価されている。

現在、マドリッド国立ドラマ学院「La RESAD」にて
フィジカル・シアター・アクティングを研修中。
フルートやサクソフォーンを演奏するミュージシャンでもある。

2007年、マドリッドで飯田茂実の演出作品に参加して感銘を受け、
新作『Hunting Songs (狩プソ☆スピ歌)』に出演するため来日。
これまで、外国語はフランス語しか話せなかったので、
京都での創作稽古にそなえ、この半年間、英語の猛勉強を続けた。


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Jose Sousa Botelho (ジョゼ・ソウザ・ボテーリョ)

体操選手/e-danceダンサー

1985年、ポルトガルのリスボンに生まれる。
8歳から20歳まで体操選手として活躍。
毎年、大きなエキシビジョンに参加し、ステージで団体演技を披露。

14歳から17歳まで、カポエラを学ぶ。
カポエラの演舞大会に出演し、その勇姿はテレビ放映もされる。
2003年第12回World Gymnaestrada(世界体操祭)に出演、
    体操演技を通して、世界中の人々と交友を深めた。
他にもサーフィン、スケートボード、ロッククライミングなど
いろんなスポーツに熱中。体を動かして遊ぶのが好きである。

幼い頃から母親を通じて、空手、剣術などの武道に親しみ、
はるか東の果ての国、日本へ行きたいという憧れを抱き続ける。
ルジアダ大学で建築学科を専攻中、安藤忠雄の作品に出逢い、
不思議の国Japonに憧れる気持ち、さらに盛りあがる。

2007年夏、ついに初来日。奈良で開催されたCISV
  (国際ボランティア子どもキャンプ)のリーダーとして活躍。
   長年の憧れが現実となり、日本をいっそう好きになる。
2008年春、古武術を学ぶため、あるいは恋人に会うために再来日。
   早速、居合道場〈勇進館〉に入門し、日々稽古に励んでいる。

たびたびe-danceの創作WSへ遊びにきて、
男子メンバーにカポエラの技を伝授したり、
一緒に振付けダンスを踊ったりして遊んでいるうちに、
メンバーみんなから気に入られて『元気の本』へ出演することに!
男子メンバーのなかでは最年少、体力バリバリなんだけれど、
ケタハズレに元気な猛者どもに、ついていくのがやっとのときも。

将来、目指している職業は建築家。
日本語をマスターして日本の大学へ通い、
日本の伝統建築について研究したいと願っている。

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ゆい
片岡結衣(Kataoka Yui)

ダンサー・ヴォーカリスト

新潟県出身。
京都市立芸術大学在学中。
生まれたての頃は、滅多に泣きわめく事もなく、
寝てばかりいる赤子だった。
そうした習性は今もなお健在らしい。

無意識に被ってた化けの皮ひっぺがして、
どうだこれが人間という名の生物だ!
そこから始まる e-dance WORLD。
目指すは進化。
自分の皮を自分で剥がした時の自分に出逢う為、
凝り固まった心身を解放する為、
コネコネペタペタバッコンバッコンしております。

〈BraDanオーケストラ〉ではユーフォニアム/バリトンホルンを吹いています。
楽譜と仲良しだから、というので、いつしか採譜係も担当。

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ふみえ
中野文恵(Nakano Fumie)

e-dance制作スタッフ

3歳より自宅近くのバレエスタジオに通い始める。
家庭の事情により7歳で大好きなバレエと生き別れ、
その後はもっぱら絵を描いたり、本を読んだり、
木登りする事に楽しみを覚えて幼・少年期を過ごした。

2004年よりコンテンポラリーダンスと舞踏を中心に
幾つかのWSに参加、忘れられたカラダを取り戻すべく奮闘しつつ、
カフェ、クラブイベントにてパフォーマンスを始めた。

2007年、友人の誘いで飯田茂実氏のWSに参加、
イキイキと末広がりに体と心を揺さぶるワークに感銘を受ける。
いつしか創作ワークショップの常連となり、
飯田氏が海外でコミュニティ作りの準備を進めていた期間、
後にe-danceメンバーとなる面々との連絡を受け持つことに。
その流れで、2008年秋の出発公演では制作のアシスタントを行う。

e-danceはいつも自由でハイテンションで、ほのぼの伸びやか。
「あぁこのコミュニティは、近い将来まちがいなく大盛況になって、
大成功する。いや、もう既に成功している」と確信している。
場のエネルギーを少しでも調整できるような在り方を目指しつつ、
今後も末永く、このマジカルなコミュニティと関わって行く予定。

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渡邉直美(Watanabe Naomi)

e-danceエナジー・バランス・スタッフ

1979年生まれ。
語学が好きで外国語大学に進むも、
エステ・整体・気功・タロット・数秘学・アロマテラピーなど
人の心や体と向き合う道へ進む。

数年後、転機が訪れ、沖縄への一人旅を繰り返す。
元々人見知りな性格だったが今では好奇心が勝り、
知らない人に付いて行ってしまうくらい
危なっかしい人になっている。
しかし、お陰様でとても良い人達に恵まれている。

現在は沖縄好きが高じて沖縄と京都を行き来しながら
沖縄ハーブを使った施術や手作りコスメ教室など
気のみ気の向くままに生きている。

飯田広江さんと仲良くなってご自宅に伺った際、
初対面の飯田茂実さんからe-danceへの誘いを受け、
「何だか面白そう」という好奇心のみで即決。
e-danceの個性的な面々を目の当たりにし、
大丈夫だろうかと今になって少し心配になっている。

──未来の自分──
今と変わらず自然体でいる。人とのご縁を大切にする。
今しているヨガ教室をもっと広めて沢山の人達と出会い、
飯田さんのWSのように
自然体でいられて楽しい時間をみんなで共有している。

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坂田坂田雄亮(Sakata Yuhsuke)

e-danceダンサー/療術スタッフ

京都西陣生まれの西陣育ち。
鍼灸・マッサージ師。戌年生まれ A型 魚座。
中・高校時代はロッククライミングに熱中、
ケガを転機として療術の道に進む。
現在、京都市街のまんなかにある一室で、
オステオパシー療法を中心とした〈治療室OQ〉を営む。

時間を見つけてはダンス・武道など
身体関係のワークショップに参加するうち、
〈e-danceわくわくショップ〉をネットで知り、
稽古場や飯田ハウスへちょくちょく顔を出すようになる。
始めはダンサーの身体調整に興味があったのが、
いつしか自分もダンサーとして舞台に出たくなっていた。
そんなタイミングで「出ない?」と声をかけられて……
e-dance公演『春ノ祭典』が人生で初めての舞台。
公演への活動、療術を通して、自身の生涯の探求である
「人を形成する本質」に近づきたい……。

http://otakukun.exblog.jp/  ブログ
http://o-q.jp/  治療室OQ(オク)HP

日本オステオパシープロフェッショナル協会(JOPA)会員
日本クラシカルオステオパシー協会(JACO)会員
コ・メディカル形態機能学会 会員
マニュアルメディスン研究会 会員

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金谷麻美(Kanaya Mami)

1986年、滋賀県出身。
『ダンスの原典』のブック・デザイン担当。



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西山真来(Nishiyama Maki)

俳優/e-danceダンサー

1984年京都生まれ。
イメージがかたちにあらわれる過程に興味を抱き、
京都市立堀川高校 人間探究科で視覚を研究。
神戸大学 発達科学部 人間表現学科で感性科学を学ぶ。

香りや記憶を扱う美術作品を制作する傍ら、
演劇ユニット〈象、鯨。〉を主宰、劇作家・演出家・俳優として、
2004年より2007年9月まで年に数回、演劇作品を発表する。
演出作品に、三角州でチェーホフ作品を上演した『熊』、
半野外ギャラリーでの音楽劇『わたしと妹と群衆の2億年後』など。

現在〈象、鯨。〉活動休止中。俳優として舞台・映画に出演。
唐津正樹 監督『喧噪のあと』/木村文洋 監督『子宮』
マレビトの会『血の婚礼』など。

2005年、初めて飯田茂実ダンスWSに参加。
2007年、「異次元テイスト」を買われて飯田の創作WSに誘われる。
2008年、ダンサーとして、e-dance 旗揚げメンバーとなる。

「西」の「山」から「真」が「来」という名前のせいで、
稽古中ときどき演出家から「阿弥陀如来のくせに!」などと言われる。
あと、「現実を見ろ!」などとよく飛び蹴りをくらう。

〈最近たいせつにしてること〉
 A 快眠 快食 快便
 B 友人がくれた言葉
「Relaxing, just feel the world is there!!」

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梶蔦美波(Kajitsuta Minami)

ダンサー

クラシックバレエの先生。 edance旗揚げ公演出演後、ストリートダンス、コンテンポラリーダンス、モデル等幅広く展開。
現在はいろいろなアーティストの方と作品創りをしています。
大阪、京都、東京など幅広く活動中。

特技:御昼寝 、笑顔。
好物:ツナ缶、たい焼き、メロンパン

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塩谷はづき(Shioya Hazuki)

e-dance制作スタッフ

国際子どもキャンプボランティア団体
「CISV (Children's International
 Summer Villages)」に12歳から参加。
ブルガリア、タイ、カナダ、デンマークなど
諸外国での共同生活を通じて世界中に友人を作る。
大卒後、埼玉県の公立小学校で教員をしていたが、
5年目で自主退職し、大阪へ移住。

内閣府事業「第20回世界青年の船」に参加し、
世界14カ国の青年250人と6週間の船旅。
オマーン、インド、シンガポールに滞在。
ディスカッションを通して、世界観を広げられた。

2007年6月、飯田茂実ワークショップに参加し、
後にe-danceメンバーとなる人たちと初めて出会う。
この出逢いからヴィジョンが広がり、現在に至る。

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坂東恭子(Bandou Kyouko)

吟遊舞台人/『狩プソ☆スピ歌』出演者

兵庫県に生まれる。
小学生の頃、近所の夏祭りで、外国から来た方々に出会い、
その後の興味関心に影響を与えられる。
感性を刺激し美しいと感じるものは何でも好きになる。

中学高校ではブラスバンド部に所属し、色々な打楽器を楽しむ。
一番小さな身体で、一番大きな楽器を演奏することが多かった。
自分より大きなものを操る快感を覚える。

短大時代、初めて狂言に触れ、その「笑い」と「間」にはまる。
数年後、狂言を習い始める。
将来の夢は、狂言に魅了されたきっかけ作品『棒張り』を演じること。
面打ち(能面・狂言面の製作)を習う、という夢もある。

5年前、飯田さんが講師をしていたダンスワークショップに参加。
しばらく後で公演に誘われるも、参加できないまま月日が流れる。
パフォーマーとしての活動を休んでいた昨年11月、
身体に活気を入れてもらって、今回、出演の運びとなった。

『狩プソ☆スピ歌』&『元気の本』の素適滅法な出演者たち。
時折、涙が出るほど、抱き締めたくなるほど、
暖かく、一途で、一所懸命で、一生懸命なメンバーたち。
現在、メンバー全員が、鏡となってくれている。
ともすると過剰化してしまう自意識と
自分で自分にかけている暗示を払拭し、
無我となり、且つ、自身を俯瞰できるようになるべく、
身に余る悩ましい身体を柔軟化中。
目標は「満ちて開け放つ」「満ち溢れる」「咲き乱れる」。

〈舞台歴〉
不可能と思っていたことに挑戦しようと、某演劇学校に1年通う。
その後、主に役者として舞台に関わるようになる。
舞台活動開始から10年、才能ある素適な方々と
出会う機会に恵まれ、いろんな舞台に立たせていただいた。
名古屋まで通った『百人芝居◎真夜中の弥次さん喜多さん』は
毎日サバイバル(必死)で楽しかった。

〈これからのこと〉
最近、身体からサバイバル性が失われつつあることに
危機感を抱いている。野性的感覚を磨きたいと思っている。
世界中に気になる人がいる。
私が生きているのと同じ時間・空間を共有している人たち。
現状をどうしたらいいのだろうと考えてばかりいる状態から
実際に何かできる状態になるため、勉強しようと思っている。

〈惹かれるものごと〉
昔話・民話・伝説・童話・妖精もの、方言、宇宙:星・月・惑星、
青春18のんびり旅行、歩くこと、自分の知らない世界を知ること。

〈凝ったこと「手技編」〉
切り絵・ゴム印作製・手編み帽子作製。

〈凝ったこと「口腔内技編」〉
舌を巻くことと、舌を「タンッ」と鳴らすことを
小学校時代、ひたすら練習。
短大時代、フランス語の「R」の発音を
怪獣のように唸りながらいたるところで練習。
その後モンゴルのホーミーを知ったが、これは未だ習得過程。

〈癖:触感マニア〉
触感が気になるものは触りたくなる。
小さい頃、数珠の房を触って
「片栗粉みたい」と言ったことは母の語り草。
ゴッホの絵や知合いの描く油絵は、格好の対象。

〈引きつけてしまうもの:小動物系〉
子犬・小型犬に気に入られやすい。
よく、道で子犬に見つめられて、飼い主を困らせてしまう。
似たようなことだが、自転車の後部座席に乗っている子供に、
通りすがりに振り向かれ、見つめられることがよくある。
きっと同類と思われていると思う。

〈海外体験〉
初海外のジャマイカでは「じゃーまー、いっか」の
  おおらかさが身についた。このとき、清流くだりで
  筏を漕いでくれた素適な方からもらった言葉は、座右の銘。
「Life is like a mirror, it reflects on what you do.
If you face it smiling it will smile back at you.」
10代より、モンゴルで星を見ることを夢見ていたが
 20歳を過ぎたころ、念願叶って、内モンゴルへ。
 横に走る稲光を初めて見て感動。
25歳、カナダのモントリオールに約1年滞在。
 多人種入り混じった町で、人に恵まれて生活。
 バスでカナダ横断旅行をしたり、
 マイムやクラウンなどのワークショップを受けたりして遊ぶ。
 この時のルームメートは、一生心の支え。
________________________

〈舞台活動の記録〉

小さい公演も全て含んでいます。
全て見ている人は何かのマニアだと思います。

◎芝居など
1998年9月・ピッコロシアター中ホール
ピッコロ演劇学校小品発表会『裸だから』

1999年3月・ピッコロシアター大ホール
ピッコロ演劇学校卒業公演『シスターにラブソングを』

1999年 いいむろなおきvs吉岡賢治(KENPAL)
『マイムバトル』エキストラ出演

1999年8月・岸部市民センター
鰯雲公演『バンクバン・レッスン』

2002年4月・カラビンカ
ホッチキホッチキス公演『5人による5つのお芝居』

2002年9月・アトリエ劇研
アトリエ劇研夏のスキルアップ講座「芝居工房」発表会 
『さんごのみつあみ』

2002年11月・ジャングルインディペンデントシアター
JUNGLE in→dependent theatre PRODUCE #3
『ハミングバード』

2003年1月・AI HALL
舞台芸術集団dracom公演『グリーン』

2003年 『大収穫祭』の一環 モノクロームサーカス
京都芸術センター内ダンスツアー参加&出前パフォーマンス
(cafe independent)参加

2003年7月・フェスティバルゲート内Bridge
COMMON BAR SINGLES関係者によるイベント
「COMMON SCAPE」にて『マニマ』

2003年11月・ジャングルインディペンデントシアター
 LABORATORY. PRESENTS

『ヴェニスの商人』(ロレンゾー/老ゴボー役)

2004年8月上旬・ジャングルインディペンデントシアター
JUNGLE in→dependent theatre PRODUCE #5 "極"
LABOLATORY『変身』(妹グレーテ役)


2004年8月末・京都芸術劇場studio21
舞台芸術集団dracom『特集・ハムレット』

2004年12月・AI-HALL
舞台芸術集団dracom 『特集・ハムレット#2』

2005年2月・ピッコロ劇場中ホ−ル
Dora Dream Project 『Geese!〜おばかさんの壁〜』

2005年8月・愛知勤労会館
KUDAN Project 『百人芝居◎真夜中の弥次さん喜多さん』

2005年9月・人間座スタジオ
辻企画 『I love you(In the bed)』

2006年3月・in→dependent theatre 2nd
 M.M.S.T 『ロベルト・ズッコ』(少女役)

2006年8月・大阪:インディペンデントシアター1st、
東京:こまばアゴラ劇場
in→dependent theatre PRODUCE #8 
INDEPENDENT:1st Season Selection OSAKA&TOKYO 
『ハミングバード』

*狂言
善竹忠一郎・隆司・隆平に師事する人たちの発表会
 2000年3月『盆山』
 2001年9月『文蔵』

*日舞
若柳京幸主催「京幸会」(サンケイホール)
 2001年『京の四季』(前半部分のみ)
 2004年『比翼の蝶』

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達
今村達紀(Imamura Tatsunori)

ダンサー・振付家・俳優

e-danceでの活動は休憩中


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