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京都を拠点に活動する、大所帯のダンス・コミュニティ。
ブラス楽器を奏でながら、ダンスな旅をしたりします。 森林浴けいこ
2009.05.29 Friday
日が暮れた雨上がりの山道を、そろそろと歩いて、本日の稽古場、滝のそばに行く。 街なかでは真っ暗に見えた空が、黒い木々のすき間からだと明るく白く見えます。 人から少し離れると、それが岩なのか何なのか、山の一部になり溶けて見えません。 そんな所で、稽古をはじめます。 話しはじめたつもりが、自分が発した声は、森のどこにも向かってなくて 思っている気持ちや癖などなどが、あからさま。 室内の稽古場より、それがありありと感じられます。いやになる。 でも、素直に前向きなれるのは、息をするたび木々の息が身体を通っていくからか、 どこにいるかわからない演出家の飛んでくる声が、森の空気になじみ、硬くないから かも。 ひとつ難点は。 暗くてメモが取れないので、記憶が頼りなこと。。。 坂本美夕
技術
2009.05.27 Wednesday
このところ、父母が生れるよりまえに録音された ゴスペルのヴォーカル・アンサンブルを聴き続けている。 頚椎から腰椎まで、背骨全体にビリビリと響いてくる強烈な音楽だ。 こういう音楽を演奏家の身になって内側から体験すると よし、やろう、生き尽くそう、というエネルギーで心身がみたされてくる。 エネルギー満タンになって、毎日、稽古へ出かけていく。 稽古場は屋外。鴨川の河原。公園。お寺。 見晴らしのよい、いつも人目にさらされている場所。 1人ひとり集まってくるメンバーたちの顔つきが、 最近、江戸時代末の志士たちみたいになってきた。 何か新しいことをしたいわけではない。 どんなに古くてもいい! どこまで新しくてもいい! リアルに効目があればいい! 何とかしなくちゃならないコトがたくさんある。 ぼやいてもしょうがないから、何とかする! 自分や、周りの人たちが、できなかったことを、 できるようになる、と決意して、できるようになる。 以前はこういうことが、困難の多い修行に思えた。 覚悟が足りないうちは、ムキになって頑張ってしまう。 できるといいけど、できなかったことが、実際にできるようになる。 近頃これが、かなり愉快で感動的なプロセスに感じられてきた。 いったん覚悟してしまえば、全力で、気楽に活動できる。 根気よく待ち続けるというプロセスも含め、創造過程そのものが面白い。 人間のどんな作品も、長いながい道のりのなかで大切に建てられた、 小さな仮そめの記念碑みたいに感じられてくる。 自分は、自分自身にどんなイメージをもって人交わりをしているか、 自分は、どこに向かって、何を成し遂げようとしてこんなことをしているのか、 こうしたことが、技術を習得する仕方、習得プロセスと関わってくる。 ヴィジョンをもって活動していると、 身につけ、心得た「技」が、習得過程=人生と結びついて、 いろんなコトに応用可能な、喜ばしい「術」になっていく。 この1年間の活動を通じて、そんな実感が濃くなってきた。
ふだんe-danceの活動で使っている「技術」というコトバを 英語に直訳すると、文字通り、 Technique and Magic になる。 分割して使えるTechnicalな面だけでなく、 総合的な術、Magicalな面も大切になってくる。 いろんな技/術を開発中。 心身のつっかえを取り除き、むすぼれをほぐし、 足りなかったコトをみたす技術。 感じられなかった大切なことを実感できるようになる技術。 パターンになってしまった狭い枠組みを外す技術。 人の欲求の根幹を聴きいれる技術。 人を心底、励ます技術。 時間をかけて丹念に経験を重ねていかないと成し遂げられないこともある。 傍目にはいろいろやっているように見えるかもしれないけれど、 けっして寄り道しているわけではない。 激情みたいな志をいだいたまま、ずっと、1本の道を進んでいる。 何年もかけて、少しずつ、じっくりと進んでいる。 日々の活動が、核心と結びついている。 寄り道なんてしている場合ではないと思う。 辿っている道そのものが広大濃密すぎる。 IidA うた。
2009.05.26 Tuesday
らー ぱー ぱぱ ー ぱら らー ぱらぱー という うた が あって はじめて聞いた瞬間に すきになってしまった それは静かに雨の降る夜で 暗闇の中 シロツメグサと 楽器と 髪や肌が 濡れて きらきらつやつやしていた 景色に影響されすぎかと 翌日 晴れた河原で うろ覚えで吹いたけど それはそれで よかった これは 私の知らない国の街の民謡で 吹いてると なんとなく しゅんとする みんよう 民の 謡 たみ たみ たみ.... むかしから すこし しゅんとする曲がすきで そういう曲は マイナーコード というもので出来ている ということを最近知った m←これ なんにでも名前があるもんだ 楽器に名前をつけた 呼んだ瞬間 5倍くらい愛しくなった 壊れたら なくかも (Y) 河原の音楽稽古。
2009.05.25 Monday
今まで見たことない楽器の吹き方を発明中のみんな。 トランペットとタンバリンの合体した音色は◎。これは本当にすごい発明。 マウスピースにホースをつけて、トロンボーンを地面に立てて吹いてる(想像しにくいかな…)秋山はるかにはたまげました。天才だ。 そんなみんなを見てたら。そういや楽器って、自分達で作れるもんやったなと改めて思った。既製品のサックスやトランペットを吹いてると、気付かないうちに、それがなければ音楽ができないような気になっていたけれど。なんだって楽器になるし、作れるんやったと思い出した。 そうやった、そうやった。サックスなくても、音楽できるんやった。 カラオケ行かんでも歌えるんやった。 当たり前のこと。 忘れていた現代っ子。 もっともっと自由に遊びたい。 新たな発明を♪ 楽器の発明の数々、先人の偉大な遊び心には感謝!! 吉澤拓馬 5/23京都市美術館、京都市ジプシー
2009.05.24 Sunday
ジプシーブラスを稽古する。 何処まで稽古する? 雨の日の稽古は美術館にて。 だが、もう此処からも発たねば。 ジプシーのソウルがあれば大丈夫さ! 秋元一平 e-男子大阪へ行ってきました。
2009.05.22 Friday
チャラチャラしているよ
2009.05.21 Thursday
ケる子はチャラチャラしている。
鴨川
2009.05.21 Thursday
すっかり夏らしい陽気のなか、鴨川で稽古です。 久しぶりの語り、久しぶりのことば覚え、少しとまどいながら、つまづきながらゆっくりと。 自分の引き出しの数は同じでも中に入っているものは変わっているんだろう。 今村達紀 絶叫
2009.05.20 Wednesday
おそらく傍(はた)から見たら阿呆か狂っているんじゃないだろうか。 夜の川原で両腕上げて絶叫しているひとは。 眼の前に藍闇の空があり川があり木がありビルがあり ビルの窓ににひとつひとつ明かりが灯っている というところまではただ歩いていても同じ。 違うのは絶叫していることだけ。 今いくつ絶叫できる場所があるか。 絶叫したくなったときにその欲求を満たすだけの 絶叫しきれる場所があるか。 泣く絶叫なら自分の部屋か。 喜びの絶叫ならライブハウスか。 しかし前者は隣人や家族を気にしてだし、 後者はお金を払って限られた時間に行かなきゃならない。 ただ街の中でふいに、または、あるきっかけで絶叫したくなったとき 絶叫することがどのくらい周りの不審な視線を買うかということを 私たちは知っている。自分で自分を抑圧して。 人間の身体の、腹から喉へ、喉から舌へ 空気を通した音でしか出力できないことがあると思う。 絶叫していると口から出て鴨川の空気に混じった声が もっとこう叫んだらよいと教えてくれる。 自分の内面なんかどうでもよくなる。 無闇やたらに叫び散らせばよいというものではない。 匂い、音、見えるもの、空気、人、それらの莫大な情報に わずかな個である自分の声を投じてバランスをとることを重ねていくと、 まるで自分が絶叫しているのではなく 絶叫という人間の可能性が自分を通り抜けているだけのように感じる。 もちろんほとんどは失敗の連続。ひょっこり顔を出す業(エゴ)もある。 よくよく考えれば命がけで絶叫したのはこの世に生まれたとき。 もちろん覚えていないけど 二十何年たったいま、その時とはまた違う形で 美しい絶叫を探している。 苧環 5/19 リブ
2009.05.16 Saturday
先日、車にぶつかって、肋骨がおれました。 痛かったです。今も痛いです。 稽古をお休みしています。 くしゃみをすると痛い。 咳をすると痛い。 大便もきばると痛いので、ゆるゆると出ていきます。 笑っても痛くて、それがおかしくて、また笑って、また痛くなって・・・ あばらを折った人をいたずらに笑わせるのはやめましょう。 健康って、すばらしい。 内田和成 |