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京都を拠点に活動する、大所帯のダンス・コミュニティ。
ブラス楽器を奏でながら、ダンスな旅をしたりします。
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拓馬君の東北報告
お久しぶりです。やすです。

坂東恭子ちゃんがフランス・スペインに行って、ナダフや阿南さんに会ってきたきたようです。

僕は最近東北へ行く機会があるのですが、e-danceメンバーの鍼灸師の吉澤拓馬くんも宮城県へ先日行ってきたようです。
今回は拓馬君のレポートを紹介させていただきます。




平成23年8月13日〜16日 活動報告 お盆休みの期間に、宮城へ行ってきた。
以下、報告。

8月13日(土) 東日本大震災が起こってから、五ケ月。
鍼灸師の山本浩士さんに声をかけてみた。

「お盆休みに、どうしても行きたい」そう言うと、「俺も行くわ」と応えてくれて、一時間もしない間にメンバーが揃い、日程が決まった。

明石、尼崎、西宮、大阪からメンバーが集まり、合計5人のチームで行くことになった。
「むこう行って、鍼したいか?」開口一番、出発地で山本さんにこう聞かれた。
「え、、、ま、、そりゃ、、できるなら、、させ、させてもらいたいです。」
鍼灸治療に行くものとの思いで来ていたので、どういう意味か分からなかった。
 
つまりは、こういうことだった。
被災地の方は、現実に不眠や痛みに苦しんでいる。
鍼灸治療をすることで、その日が眠れたり、痛みを和らげることはできるだろう。
しかし、「根本」の悩み、苦しみを取り除くことはできない。
「根本」とは、仕事がないこと、家がないこと、家族を失ったことなど現実的な問題だ。
「それでもお前は鍼(だけ)がしたいか?」そういう問いだった。

「きっついなぁ・・」そう思った。
「ええかっこしたい」「治療をしたい」そういった「欲」が、自分にはどこかあったはずだ。
そうか、助けになるのならば、鍼でなくてもいい。これは手段の一つでしかない。

その時に必要なのは、瓦礫の撤去かもしれない。
大切なことを、最初に教えてもらった。
それでも、させてもらいたい。
治療家のはしくれとして。
「指先1本でも楽になってもらうこと」この思いで。

車に5人乗り込み、21時過ぎに梅田を出発。
夜中の高速道路を順調に走り、約10時間。
翌7時過ぎには宮城県塩竃市に入った。
8月14日(月) 初めて目の当たりにする被災地。
市内の道はとてもきれいに清掃されている。
しかし、道路脇の住宅、店は津波の傷跡を残している。
未だ消えたままの、信号機。亀裂の走った路面。
長々と積まれた土嚢。車の窓を開けると、ヘドロの匂いが鼻をつく。
一見すると、落ち着いてみえる街中だが、そこかしこに傷跡がある。
震災から、ちょうど5ヶ月。
多くの人手によって、片付けられた道路や家屋。復興の跡と、手付かずの被害が混在している。
塩竃市から国道45号線を通って、東の沿岸部を進み、東松島市に入る。
へしゃげた道路標識、全壊した駅、亀裂が走り隆起した路面。このあたりから、津波の被害が増してくる。 石巻市に入った。

その被害は甚大だった。

道の脇にはおびただしい量の瓦礫、破壊された車がミニカーのように積まれている。魚の腐敗臭のような耐えがたい匂いがする。そんな中、警官の方がマスクをつけ、炎天下の中、交通整理をされていた。
車を降りて、石巻の海岸部へ歩く。荒涼とした風景。陸に船が転覆している。
海岸部の工場は壊滅的な被害だった。1階の壁が全壊した工場の中を覗くと、デッキブラシと洗剤が置いてあり、きれいに磨かれた跡があった。とても再開は困難、と思われる状態だった。
ここで何があったのか。
目の前の景色と、地震の直後にニュースで流れた津波の映像を重ねてみる。
重ねてみるのだけど、どうしても想像がつかなかった。

感傷や同情でもない、熱のない涙が流れ続けた。

この景色を見て、悲しいのか辛いのかなんなのか分からない、ただ圧倒された。
石巻市内にある食堂に立ち寄る。震災直後の凄絶な話を聞かせて頂く。
靴箱をイカダにして探しに行った人がいたこと、死体収容のため3日間働き続けた消防士の話。
ポテトチップが2枚、豆腐20分の1カットという食糧支給があったこと。

「がんばれって言ってもね。5ヶ月でみんな疲れきってるよ。道歩いてたら、夢遊病みたいに歩いてる人いるよ。」
ついさっきまで見ていた光景、いま目の前にあるご馳走、凄絶なお話を聞きながら、そのギャップに頭がついていかなかった。 矢本にある仮設住宅に向かう。公団住宅を利用されている5人家族のお宅に伺い、ご主人からいろいろとお話を聞く。
この家族が住んでいた地区は壊滅的な被害があった場所だった。
「近所の人、みんな死んじゃったからね。」
幸いにも、車と家族が無事だったのだが、避難所にいても後ろめたい思いでいっぱいだったという。
「モノはぜーんぶ流されちゃったけどね。思い出は残ってるんですよ。」
つとめて明るく振る舞いながら、たくさんの話をして下さった。

「がんばって下さいね」帰り際に、何度もそう励まされた。
「逆や・・・」少しでも役に立てたらなどという思いも空しく、ただやるせなかった。
松島町の品井沼にある避難所へ。
お盆のせいもあってか、中にいる人は少なかった。
卓球台がテーブル代わりになっていて、そこでお話を聞く。
この避難所は数日後に閉鎖される予定だという。
宮城県内の避難所は8月中には閉鎖され、仮設住宅に住宅に移る。
「天井高いでしょう。最高よ。」体育館のようなところが避難所になっている。

この日の気温は33℃近くあり、大型の扇風機が回っている。
薄いスポンジが敷いてあり、ここで寝起きするようになっている。
現地についてから、初めての治療。
メンバーが、鍼道具を持ってきて治療を始める。
それぞれに、話を聞きながら鍼を打つ。
ニュースで取材されている話を聞く時、現地の方言をあまり気にしなかった。
実際には、高齢の方は特に方言が強く、慣れてくるまで半分ほどしか聞き取れないこともあった。

相対して、言葉を発するのが怖かった。
どんな言葉をかけたらいいのか分からなかった。
「大変でしたね」そう発するのがやっとだった。ただ耳を傾けて、聞く。
たくさんの話を聞いた。
ここでも向こうの方に「がんばってねー!!」と、逆に励ましを頂く。
「何やっとんのや、自分は」凹んでも仕方がない、いま自分にできる限りのことをするしかない。
避難所を後にして、松島へ帰った。
この日、松島ではお祭りが行われていた。
露店が立ち並び、子供たちによる太鼓の演奏があった。 
ホテルへ帰る。

ほぼ不眠で活動していたので、皆すぐ休みにかかる。
宿に帰るまで、メンバーの誰も「しんどい」と言わなかったのが、誇らしかった。
清潔な布団に横になって、眠る間際、
「一日でも避難所で寝てみって言うの。じゃないと分からんよぉ。」
役人に対する憤りを男性が話した時の言葉が蘇った。
8月15日(月) 午前、また品井沼の避難所へ向かう昨日より人は少ない。
無人だと思っていたところに、高齢の女性が1人居らした。

「どこか、おつらいところはないですか」そう聞くと、
「あー、うんうん、わたしね、元気、元気。もう85になんの。大丈夫。」
「ちょっとさせてもらえませんか」
「善意の押し売り」そんな言葉が頭に浮かびながらも、そうせずにいられなかった。
肩に手を当てると、硬く張っていた。
その方はとても遠慮深く、治療を始めてすぐに「あー、楽になった。ありがとね、ありがとね。」と「もういいよ」という合図を出してくる。
早くに亡くなったご主人のこと、避難所での生活、お話を聞きながら、しつこくも治療を続ける。
ぱっと横顔を見ると、涙が見えた。
いろんなことが、いろんな思いがあったのだろう。
治療が終わると、「ちょっと待っててね」と言って、パンを一つ持ってきて下さった。
「東北の人に物をもらったら、断ったらあかん」そう聞いた言葉を思い出し、ありがたく頂いた。

それから、いくつかの仮設住宅をまわった。
広大な敷地にプレハブの住宅が、団地のように並んでいる。
家族の場合、4畳半ほどの2部屋とキッチンの間取り。
洗濯機、冷蔵庫、テレビ、炊飯器、電気ポット、電子レンジの6つは用意されている。
エアコンは1台ついているが、プレハブの住宅は「夏は鉄板のよう、冬は寒い」と聞いた。

ある仮設住宅を訪れた時、子供たちが家の前で遊んでいた。
子供と遊ぼうとシャボン玉を持ってきていたので、「これはチャンス!」と駆け寄る。
幼稚園くらいの男の子3人は、とても元気いっぱいで、きゃあきゃあ叫びながらじゃれてくる。
元気な姿に、勇気づけられる。
子供たちは「こっち、こっちー」と虫カゴを見せながら、家のほうに引っ張っていく。
ちょうどその時、1台の車が横手の駐車場に停まった。
「何か、マズい・・」そんな予感がした。
考えるよりも先に、車の方へ走っていた。
「すみません、京都から来まして、鍼灸のボランティアでまわらせてもらってるんです。」
聞かれてもないが、言い訳をした。
「あんたら、ボランティアかなんか知らんが、ここ人の家と違うか。」
被災地へ来て、初めて向けられた怒りの目。
当然のことだった。ここは人の住宅であり、うろうろしていれば不審者でしかない。
無意識に「お客さん気分」になって浮かれていた、自分が恥ずかしかった。
ただただ謝って、そこを後にした。 続いて、別の仮設住宅へ向かう。夫婦二人で暮らされてるお宅へ。
部屋に入れてもらうと目の前に仏壇があり、赤ちゃんの遺影が飾られていた。
津波によって、抱いていたお子さんを失ったという。
「あまり言いたくないけど、話さないとこの子の存在がなくなっちゃうみたいだから」
と言って、話をして下さった。
いろんな方々にお話を聞かせてもらった。
「流されちゃってねぇ」何度も聞いたこの言葉が、強烈に耳から離れない。
多くの人の家が、大事な物が、大切な人が流された。
行き場のない悲しみ、怒り、思いがあった。

8月16日(火)松島から約13時間で梅田着。
帰ってきてから、このレポートを書けずに一週間が経ってしまった。
今回、自分たちにどれたけのことができたか、わからない。

しかし、「これから」の大きなきっかけになった。きれいごとでは結べない。

本当に「これから」。
posted by e-danceとは? | 18:04 | - | comments(0) | - |
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