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京都を拠点に活動する、大所帯のダンス・コミュニティ。
ブラス楽器を奏でながら、ダンスな旅をしたりします。
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『more or less』
 言葉ってなんだろう、と思う。

先日、英語で自分のプロフィールを書く機会に恵まれた。
がしかし、かつて嫌ほど習った英語は頭から完全にすっ飛んでいて
ろくすっぽ書けないので英和辞典と和英辞典を引っぱりだす。
頭に思い描いているイメージを頼りに言葉をえらんで
たどたどしい英単語を繋ぎあわせていったが、
目の前に書かれた言葉と思い描いているイメージのあまりの不一致に、
焦り、おののき、どんづまった。

イメージを言葉にできないというのは恐ろしい。
伝えたいことが回路を持てず、自分と他人の境界で引き返してくるからだ。
これが英語だからまだ救われているような気分になるが、
当たり前のように使用している日本語でも
イメージと言葉がフィットしなかったりフィットする言葉が見つからなかったりして
そんな時は、伝わらないとわかってあくせくする。
伝えるということはいかに言葉に頼っていることか。

「われ思う、ゆえにわれあり」というデカルトのあまりにも有名な言葉。
「思う」とは、考えること。考えることは、言葉によって行われる。
つまり言葉が無くなってしまったら、「われ」も無くなるということなのか。
じゃあ、もしも自分が言葉を獲得していなかったとしたら、
思い描いているイメージを他人へ伝える手段を持っていなかったとしたら、
それらのイメージはどこへ行くのだろう。自分の中で留まるのか?
それとも、そもそもイメージを「思」い描くこと自体ができなくなるのだろうか。

幼少のころは、人が笑うのや怒るのが、怖かった。
アッハッハッハという笑い声を近くで耳にすると、ビクッとしていた。
喜怒哀楽の差なく、その向うからやってくるワケのわからないエネルギーに
自分が飲み込まれてしまいそうで怖かったのだ。
この恐れは、言葉をあまり持たない自分の存在が
否応なしに響いてしまうことへの恐れだったのじゃないかと今思う。
単にビビりだっただけかもしれないが。

言葉を獲得するとは、「われ」を形成することなのだろうか。
「われ」が他の「われ」と分離することなのだろうか。(デカルトに少し偏りすぎか)
でもその一方で「われ」は他の「われ」に何がしかのコミュニケートをしようとする。
「われ」を他の「われ」に伝えようとして、
「われ」のイメージと他の「われ」のイメージが共感できるような言葉を探そうとする。

すると言葉を使うとは「われ」の溶解作業?
言葉の矛盾。われわれワケがわからなくなってきた。

今このブログのタイトルをどうしようか悩んでいる。
「言葉」?「言葉とは?」?「言葉についての考察」?「言葉の」・・・
言葉について言葉で表すというのは
自分のことを自分で説明するのと同じくらい落ち着きどころが無い。
考えだすと袋小路にはまりそうだ。

どうしてこんなことになったんだろう。
プロフィールの英語に悪戦苦闘したことがそもそもの原因らしい。
言葉についてあれこれごたくを述べてる暇があったら
英単語のひとつでも覚え-----------ぃ!!!!
と、内なる声が聞こえてきたので
ヨーロッパに行く前に買った英語の例文書をひらく。

Don't be shy. Your pronunciation is more or less correct.
(恥ずかしがらないで。あなたの発音はだいたい合っています。)

ブレへの寛容さ。
言葉になりきらないイメージの領域を
汲み取ろうとするmore or lessも、また言葉。



苧環凉

posted by e-danceとは? | 11:23 | - | comments(0) | - |
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