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京都を拠点に活動する、大所帯のダンス・コミュニティ。
ブラス楽器を奏でながら、ダンスな旅をしたりします。 星に願いを2009
2009.12.26 Saturday
ちょっと早いけど、もうすぐ2009年が終わります。 2010年へ向かって気持ちがはやります。 早くも2010年の目標とテーマが決定してしまいました。 毎年そんなものを決める訳では無いのだけど、年越しを目前に、自分の弱点を思 い知る出来事が続けて起き、向き合わざるを得なかったので、そんなものを決め ることになりました。 自分のネガティブな感情を今はとことん可愛がってやるのがよい。 プラス思考もいいけど、マイナスな自分を無視するのはイヤです。 いつも平常心、仏の心も素晴らしいけど、駄目な時は駄目な自分でありたい。 ついこの間、双子座流星群がやって来ましたね。 私は出町柳の三角洲で観測しました。 双子座流星群の特徴はしっぽが長いことだそうで、なるほど「金!金!金!」く らいは願いを言えそうな流れ星たちでした。 「世界平和!世界平和!世界平和!」とかはさすがにちょっと無理だけど。 と、いうよりも、気付いたこと。 星が流れると、感動のあまり「願い事を言う」という行為を忘れてしまいます。 その美しさに口をぽかんと開けて、一息ついてから「今のは『世界平和、世界平 和、世界平和』くらいは言えたぞ」と気付くのです。 きっと、流れる星が大きければ大きいほど、そのしっぽが長ければ長いほど、人 は願いを口にすることを忘れてしまうのだと思います。 そして口に出来なくても、すっかり満たされてしまうのでしょう。 上手くできてる。 朝平陽子 ひと足早く
2009.12.25 Friday
今年も あと7日! 空と思い
2009.12.24 Thursday
最近地下で作業してるので 携帯は常に圏外。 休憩にふらーっと中庭に出て あぁそうだ、携帯、と電源を入れた。 昔の人は 空や光や夢で いとしい人たちと繋がっていたいと願ったそうな。 空でも光でも繋がってるんだな、もう。 子供のころ夢を操るのはそんなに難しくないと思っていた。 高校生の時、うつらうつらしてる夢の世界の入り口で思った通りの夢を見れることがあった。 夢は叶った。夢は応えない。叶うを匹敵すると言い換える時もある。 夢叶う 地平は新たに開いてさ ふまじめながらも 叶わぬ時の神頼み 元気を頂いて 歩く逢坂 誰と出会う? よしだ 子供の頃
2009.12.21 Monday
サンタクロースが本当にいて、クリスマスの当日枕元にプレ ゼントが置いてあった。 母親に「サンタさんが来たー!!」と大喜びして、小躍りし ていた。 あれから、自分が大人になって、あの頃の気持ちを思い出す と色んなことの見え方や感じ方が変わった気がする。 でも、今でも自分の中には自分のサンタクロースがいて、ク リスマスが来ると毎年ウキウキしてる。 今年はどんなプレゼントを運んできてくれるのかな?すごく 、楽しみです。 笹原 和哉 あたらしいことも これまでのつづき
2009.12.09 Wednesday
前回公演の写真を見て、海外組はどうしているだろうと思ううちに12月。 留守番組も各々の活動をしています。 私もe-danceが縁で、知り合った人達との創作する日々がはじまりました。 そんななかで、e-danceは海外に言ってるんだよねという話題になり、 行っていないメンバーも、集まって楽器を練習などしていると話すと、 ちゃんとコミュニティーとして活動が続いているんですねと驚かれ、そういわれてみればと 省みた。 公演がなくても活動が続いていくことは意外に難しくて、続けたいと思っていても 誰かが動かないと自然消滅してしまう。 今回もとりまとめてくれているメンバーがいるから成り立っている。 そういう大切なことを新しく出会った人から教えてもらい、人と人がつながって ひろがっていくのを感じました。 坂本美夕 歩み
2009.12.06 Sunday
12月に入り、町がクリスマス色になり始め、デコレーション にに彩られたツリーが町のあちらこちらに見られるようになり ました。 この季節色々な幸せそうなカップル達が町を歩いているのです が、気になるカップルがいました。 そのカップルは、二人とも70歳くらいで手を繋いで、人目を きにせず、付き合い始めたような感じで楽しそうに歩いていま した。 年を取っても互いにずっと歩み続けることができるって、素晴 らしいことだなあって思いました。 僕もそういう風に年を取っていけたらなとふと、思いました。 笹原 和哉 名人芸
2009.12.05 Saturday
今日のe-rusubanはドラムとアルトのデュオ。 お互いの在り様が、正に見えて、発見をしたり。 曲が終わった後になんか寂寥感だったり。 また野外でも屋台でもステージを持ちたいな、とイタリアを思ってみたり。 練習後、拓馬氏とお茶していると、入店してきたブラダンの撮影スタッフが声をかけてくれる。 席が花やぐ。 話の中で、「プロ」とは何だろう、ということに及ぶ。 僕は、世間に見た芸術が商業化されすぎているように感じ、 専門技術の多寡や巧拙が評価尺度になるので違和感を持つのだけれど、 今「プロ」と僕たちが呼ぶ人は、一般にその活動で生計を立てている人を指す。 「芸術家」でない人は、「プロ」の生産物productを消費している。 professionalという言葉。その由来は宗教革命における予定説ではなかったか。 前にpro述べられたfess、職業・天職、という考え。 (confessは告白する、懺悔する、だ。共にcon話すfessとも読めるし、ラテン語からの由来は「すっかり打ち明けること」だとネットで調べたら書いてあった。) つまり、プロフェッショナルという言い回しには、初めから、 「行うべき人」「行わないべき人」という二分法が根付いている。 なるほど資本主義の消費社会の根底思想だ。芸術は今日の様相を迎えるよう、予定されていたのか。 その様相の良し悪しは、判ぜられるものではないだろうけれど。 僕は、今日のプロという言い回し、その理想に、納得してるだろうか。 整体に通う人と話をしているとき、「これぞプロだな、という部分」について話していた。 それは、仕事を投げないとか、きちんと効くとか、そういう類の話で、 「名人芸」とか「職人技」とか呼ばれるものだった。 僕は、プロという言葉を使いながら、それによって表現・伝達しようとしていたものは、 日本的価値観の名人・職人という理想だった。 名人・職人のシステムはヒエラルキーの弊害を受けやすい価値観かもしれないけれど、 何も全ての社会がヒエラルキーを壊せばいいという話ではないはずだ。 (ピラミッドを破壊して平地にしたら、ヴァンダリズムと呼ばれるだろう。) フランスが国語を守ろうとするのも、一理あるな、と思う。 profess、confessの話に戻るが、fessという部分は、「さらけ出す」というラテン語が語源だそうだ。 僕が目の前にいる人に、自分をさらけ出すことができれば、プロという言葉も生命を新たにするかもしれない。 よしだ |